解説
遺構になった大川小 : NA:宮城県石巻市。北上川のほとりに建つ大川小学校です。海から4キロ離れていましたが、巨大津波に襲われ、児童74人と教職員10人が犠牲になりました。NA:ここは、被災した当時のままの姿を伝える“震災遺構”として残されています。あの日、8.6メートルもの巨大津波に襲われた校舎。その無残な姿が、今もそのままの形で見ることができます。NA:震災から7年半たった今も、慰霊や防災研修のために多くの人が訪れています。佐藤:天井を見てください。斜めになった天井の低いほう、つまり手前半分が茶色くなっているのがわかるでしょうか。天井の真ん中に津波の跡があります。立っている所から8.6メートルの高さの所だそうです。NA:大川小学校で語り部をしている佐藤敏郎さんです。佐藤さんは、大川小学校に通っていた当時6年生の娘を津波で亡くしました。NA:今も校舎があることで、子どもたちが楽しい日常を過ごしていたことを、よりリアルに伝えることができるといいます。佐藤:ここは、花見をしたり、一輪車で遊んだ中庭で、(あちらは)勉強をして褒められたり、怒られたりした教室です。あの辺に一輪車がいっぱい置いてあって、子どもたちは、よく一輪車で遊んでいました。大川の子どもたちは、全員一輪車に乗れるんです。NA:実は、震災遺構として2年前に保存の決まった校舎ですが、一時は解体を望む住民が多くいました。そうした住民の声に異議を唱えたのが、大川小学校の卒業生6人でした。生徒1:震災で多くの子どもたち、先生方がこの校舎で犠牲になりました。まだ見つかっていない子もいます。子どもたちがあそこで生きた証しと、二度とあのような悲劇をくり返さないために、あの校舎を通して伝えていくことが大切です。生徒2:広島の原爆ドームが、原爆や戦争の愚かさを伝えてきたように、大川小の校舎も地震や津波の恐ろしさや命の大切さを何十年、何百年、何千年と後世の人々に伝えることができるきっかけになればいいと思っています。NA:大川地区復興協議会の説明会で訴えた子どもたちの声が、住民の意識を変えました。説明会後、アンケート調査をしたところ、全て残すべきと答えた人が、過半数を超えました。そして石巻市は、大川小学校を震災遺構として保存することに決めたのです。NA:決定後、被災地の数少ない震災遺構を、実際に見てみようという人も増えています。この日は、研修の一環として、兵庫県から高校の新人教師たちが訪れていました。佐藤:今は、ここはすごく特別な場所になってしまいました。“あの大川小学校”と言われます。でも、特別な場所でもなんでもなくて、普通に子どもたちが笑って、泣いて、学び、遊んでいた場所です。特別じゃないときに、特別じゃない場所に災害はやって来ます。西日本の豪雨だって、大阪の地震だって、阪神大震災だって、関東大震災だって、被災地って呼ばれるちょっと前くらいまでは、特別な日じゃない、特別じゃない場所だったわけで、そこに(災害は)来るんですよね。教師1:見ないとやっぱり考えられない、イメージできないと思う、ここで子どもたちが遊んでいたとか、実際にここに波が来てということとか。大事にしていきたい場所だと思いました。教師2:このようなことが(二度と)ないためにも、僕らが語り継げていけたらと思います。
データの提供元
NHK東日本大震災アーカイブス
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最終更新日
2024/02/21