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三沢市淋代在住 10代男性 震災体験談(震災時) ミサワシサビシロザイジュウ 10ダイダンセイ シンサイタイケンダン(シンサイジ)

解説

(震災が発生したとき) 百石高校1年生だった。電気が使えなかった。(発生した時刻どこにいたっていうのは、オレの家だったよね。) うん。(一回外に出て、放送が聞こえるのを待って。確か関西のほうの人からメールがきて、大津波警報が出ていると聞いて慌てて帰ったよね。) うん。(震度4くらいだったけど、建物内は?) 2階にいたからすごい揺れていた。立っていられないほどではなかった。(揺れたってわかって、慌てて下行って外に出てっていうくらいの強さではあったよね。この辺は。) (家に帰ってからは?)電気が使えなかったから、電気復旧後に火事にならないように、線を抜いたりとか。色々電源消したりした。 (情報の把握は?)携帯は充電がなくて使えなかったから、ほとんどわからなかった。 (知り合いの安否確認は?)メールが友達からきた。 (通るときは通るんだね。あの当時ああいうことの後って、だいたい171使えっていわれる。こっちも繋ごうとしたら重くて繋がらなくって、結局171、ドコモのサービス使って安否確認した。)震災きた夜に友達からメールがきたから。その時は大丈夫だった。 (津波が来た時刻辺り何をしていた?)家にいてやることがなかったから、何かして時間を潰していたけど、何をしたかは忘れた。 (避難する時はどうだった?)車があったら避難速報なんかを見て、海より高いところに車で走った。コンビニまで走って待機していた。サークルKよりもう一個行ったほうの、駐車場広いほう。消防署の前。

メタデータ

データの提供元

青森震災アーカイブ(承継)

東日本大震災の被災地である青森県八戸市、三沢市、おいらせ町、階上町の共同事業として構築されたアーカイブ。行政文書のほか、市民から集めた写真、動画や体験談も収録。2024年6月26日ひなぎくでデータを承継。2024年3月31日サイト閉鎖。

2024/06/30