解説
翌日は外を見たら、電柱が倒れているところがありました。 信号もまだ停電したままだったので電気もまだつかなくて、車で移動する人がほとんどいなくてみんな自転車とか徒歩で移動してました。二日目は近くのスーパーが人数制限しながら入れてくれるっていう話んだったので、とりあえず買い物に行って、懐中電灯とか電池とか必要な物を買いに行ってました。時間はすごいかかったんですけど一応買えました。 停電が直るまでは情報が入ってこなくて、津波とか全然分からなかったです。音だけというかラジオの声だけなんでどれだけの被害っていうのが想像つかなくて、停電がなおった時にテレビで実際きた津波を見たときにこれはやばいって。電気が通じたのは二日か三日してからだった気がします。 情報は欲しいって思いましたが、なかなか・・・友達との連絡は、買い物行ったときに簡易式の充電器を買ったんでそこで連絡取り合って、お互い無事って確認はしました。 買いたいものは買えましたね。電池はだいぶ品薄になってて、私が入った時にはだいぶなくなってました。一人何個って決まっていて、店員がついて確認しながら電卓を打ってました。 日曜日はとりあえず周りの家を周って、お互い協力していきましょうっていう話を母親として回りました。近所付き合いが割とある地域なので。あと母親が民生委員をやっていたのもあって母親はお年寄りの家に行って状況確認とか。 近所のお年寄りだと買い物とか行けないので、代わりに行ったりだとか。あと物が壊れても撤去ができない状態だったので母親が行ったりしてました。外にあった植木とかが結構倒れてました。でも私の地域がそこまで被害出てなくて内陸ということもあったので。そのあと、母親がその時仕事先まで行くのも行きづらかったですね。バイクだったのでガソリンがないプラス信号自体が倒れてて復旧もしてなかったので。仕事先とも連絡が取れなくて、どうしたらよいか分からなかったみたいです。 揺れは立てるには立てるけど、バランス保つのが精いっぱいっていうかんじでしたね。教習所の窓ガラスから見えたんですけど電線と電柱がすごく揺れてて最初風で揺れてるのかと思ったのですが。みんなざわめきっていうかざわざわしてましたね。最初地震って気づかなくて、自分があったたんじゃないかって思ったんですけど。長かったですね、そのあとも余震が結構きてたんで。 生活面ではそこまで大きな影響はなかったです。しばらくしてから、大学から入学式が遅れるという手紙が届きました。 大学が始まるまではとりあえず家にいて手伝いをしていました。大学が始まる1~2週間前に八戸に引っ越してきて、被害の様子を見てびっくりしました。特にひっくり返った船などをタクシーの中から見て、被害は私の地元よりもやっぱり大きいのだと思いました。土曜日も授業というのは大変でしたけど途中から慣れました。 震災の影響でボランティアを始めました。学科の先生の紹介で野田村っていうところでボランティアをするっていう話だったので、自分もやりたいなと思って。 文化祭の手伝いとか、コミュニティセンターでプレハブで子供達と遊んだりtか、リラクゼーションみたいなかんじでアロマ使ったり、そういうのを他のボランティアのかた達に教えてもらって一緒に被災したかたとやりました。その時ボランティアは10人位はいたと思います。震災があったのでボランティアへの意識が高まってたので、機会があればやりたいって思ってたので。 3月から4月はただやみくもに被災地に行っても土地を知らないし、地元の人に迷惑をかけるだけだと思って、もうちょっとちゃんと道とかなおってから行った方がほかの人の迷惑にならないだろうなって思ってたので。野田村は八戸より倒壊してる建物がすごい多くて、道路走ってる時に田んぼとかあったんですけど田んぼの向こうに倒壊した建物が山積みになってゴソゴソいっぱいあって、全然復興も進んでないかんじで、最初行ったときはプレハブとかも建ってない状態で、体育館とかそういう所に避難している状態だったんですけど、その後だんだん仮設住宅もできてきて。 ただ仮設住宅もちょっと生活しにくそうだった。3か月か4か月に一回のスパンで行ってました。今もまだ続いてるんですけど。瓦礫はもうなくなりましたね。周りの人も明るくなっているイメージは持ちました。去年だと野田村でやる文化祭があって、そこで絵画展とかボディペイントとかやったりしました。 あとは炊き出しではないですけどホットケーキ作って子供達にあげたりとか。一回目の時はお金を取るっていうより、差し上げるっていう感じというか名目だったんですけど。 自分が予想していたよりもすごい被害が大きいんだなと改めて思いました。早く復興してほしいと思うんですけど、自分が手伝っても微々たるものなので、国でもっと対策をしてほしいと思いますね。
データの提供元
青森震災アーカイブ(承継)
東日本大震災の被災地である青森県八戸市、三沢市、おいらせ町、階上町の共同事業として構築されたアーカイブ。行政文書のほか、市民から集めた写真、動画や体験談も収録。2024年6月26日ひなぎくでデータを承継。2024年3月31日サイト閉鎖。
最終更新日
2024/06/30