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階上町蒼前 20代男性 体験談(震災後) ハシカミチョウソウゼン 20ダイダンセイ タイケンダン(シンサイゴ)

解説

土曜日も、家遠い人は来なくていいって言われたんですけど、自分は近かったんで普通に部活に行って。あと寮生の人も来て、本当に普通に部活やって、そのときは午前で終わったんですけど、部活やってました。 その時は渋滞とかはなかったです。自分が移動するのに不便とかはなかったです。電気がつかなくて、その前から電気は使えなかったですけど、ストーブもなくて寒くて。そこは大変でした。 地震が起こった夜からもう、自分ちオール電化なんですけど、何もできなくて、水でシャワー浴びて。朝とか飯も食えなかったんで。大変でした。 (特別な行動)そんないつもと変わらない感じですね。 近所の人と結構話、してたですね、帰ってから情報収集みたいな感じで。影響は電気使えないっていうのが一番で、来れない人もいたったし。 そのあとも遠征あったんだけど、その遠征もなくなって。部活はそんくらいで済んだんですけど。 家ではガスコンロを出してやってたんですけど、お湯沸かしても、時間かかるし、量少ないし、ご飯作るのも時間かかって大変でしたね。いままで続いている影響ってのはないですね。 停電ぐらいしか被害もなかったので。日曜日は確か部活休みになって。 家族と出かけるというか、身内のおばあちゃんの家とか行って、手伝いとか。おばあちゃんちのほうは、ちょっとちらかったりしてたので、手伝ったりしてました。 月曜日以降は部活ですね。監督もコーチも、すぐ近くに住んでいたので、震災に関係なく、ずーっと部活やってましたね。 停電は3日後の朝か2日後の夜中に復旧して。その後も計画停電、それとかあって、それもたぶん影響だと思うんですけど。地震による停電は2日、3日で直って、その後は元通りですね。 (生活面の影響)普通に生活、家帰っても全部止まっているんで、いままで普通にしてきたことできなくなって。 シャワー浴びてもすぐに終わるし、ご飯も満足に、満足にっていうか、すぐにできるわけじゃないんで、少しずつ作って食ってっていう感じで。あとは、やることないっていうか、何もできなかったんで、早く寝てって感じで。それは大変ですよね。 (生活物資)とりあえず、家にもとってあった食料があって、それで初日とかは乗り切ったんですけど。 2日目の夕方にスーパーに行って、人が殺到っていう感じで、わざわざ並んで買って。ガソリンもガソリンスタンドの脇に車がならんで、ガソリン入れるのに1時間半かかって、とにかく並んで待って買ってましたね。 (家庭の防災対策)特にはないんですけど。対策っていうか、準備しておくものをなんかいろいろ、電池だの懐中電灯だの、保存がきく食料とかジュースとか、そういうものをとっておくことが増えましたね。 (こうすればよかったとか)とりあえず被害は停電くらいだったので、停電はどうすることもできないので、こうすればいいってのはないですけど。 その前の準備というか対策、起こる前に準備しとかないとダメだなっというのは思いました。(役立ったもの) 自分で手で回して発電して使えるものとかあったんで。あと、隣の家とかにも発電機があって、それを貸してもらったんで、発電機は使えますね。 (うれしかったこと)近所でも助け合って、足りない物があったらあげたりとかしてたんですけど、そういう周りの人とかが助けてくれたりとか。 こっちからも手伝って、そういう世の中であるっていうのは、嬉しいっていうか、本当にそういうのでは助かりました。(エピソード) 自分、結構経ってから、宮古だったかにボランティア行って、そこの状況はこっちと全然違って、全部がれきで、その中で片付けというか、がれき集めて、いろんなものが落ちていて、家族の中のものとか写真とかいろんなのあって、自分たちよりも大変な思いして、結構探しにきている地元の人とかもいったったんですけど。その地元の人の話聞けば、本当に津波とか地震来たときの状況とか、本当に悲惨だったというのを聞いて、それ心に残ってます。

メタデータ

教育

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非商用

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資料固有の条件

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データの提供元

青森震災アーカイブ(承継)

東日本大震災の被災地である青森県八戸市、三沢市、おいらせ町、階上町の共同事業として構築されたアーカイブ。行政文書のほか、市民から集めた写真、動画や体験談も収録。2024年6月26日ひなぎくでデータを承継。2024年3月31日サイト閉鎖。

2024/06/30