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階上町道仏在住 30代女性 震災体験談(震災後) ハシカミチョウドウブツザイジュウ 30ダイジョセイ シンサイタイケンダン(シンサイゴ)

解説

地震が起きたのが金曜日で仕事の心配はなかったです。 震災翌日の土日は仕事が休みだったので、家で過ごしていました。金曜日の震災時に電気が止まって、日曜日の午後3、4時に復旧したかなって記憶があります。 こちらの仕事は、電気が来ない限り仕事ができない業種でしたので、誰も出勤せず休んでいました。土日に父と電池を買いにホームセンターに行きました。 だけども凄い長蛇の列でした。並んだにも関わらず1人1個までという感じで、高い電池を買ったのを覚えています。私は幸い、ガソリンが満タンでした。 あまり出かけないようにもしたし、ガソリンは問題なかったです。周りの人たちは、通勤距離が長い人たちは結構使うので、夜中から湯たんぽを抱えてガソリンスタンドで時間が来るのを待っていたというのは聞きました。 ガソリンの値段は普通ではなくてリッター200円、一人10リッターまでだったと聞いて、いっぱい入っていてよかったと思いましたね。うちの父が何かあった時のためにというのが強い人で、結構石油ストーブも3、4台ありました。 私はなぜこんなにと思ってたんですけども、やはり父はこういう時のためにという思いが強かったみたいです。灯油もたくさんあったし、ガソリンは携行缶に詰めてあったみたいだし、電池も買い置きしていたみたいです。 父がいなかったら、もっと心細い思いをして過ごしていたんだろうなと思いますね。やはり防災意識が高いんでしょうね、感謝です。 職場では特別何かあったわけではないです。私は臨時職員というのもあって、通常業務でした。 ただ職員たちは災害のことでいっぱいいっぱいで、大変そうでした。私は3月末で契約が切れたので、地震が起きてから2週間位しか職場にいませんでした。 役場自体はすごく大変だったと思います。階上町で死亡した人はいなかったですけど、やはり海関係の仕事が多い所なので、うちの従兄弟も実際に船が壊れて、海が近い人達は避難生活していた人もいましたね。 避難所は近い所にあるんですけど、そこの避難所が海のすぐ近くだったので、もう使えなかったんですよ。避難所というか集会所になってたんですけど、集会所ってある意味避難所にも使えたのに、なんでこんな海の近くに建てるんだろうって、その時に初めて怖さを知りました、意味無いなって。 津波のことを考えて建ててはいないだろうけども、今になってちゃんと建物があるのに使えなかったらとも思ったけども、仕方ないのかなとも思います。自分の生活の中で震災の影響が残っているところは、全く無いです。 震災2日後にはもう通常生活に戻れていました。あとはテレビが付いて、それを見た瞬間はショックでした。 この辺は停電くらいで済んだけど、亡くなっていた人がいたんだなと。復旧前は母がラジオを聞く人でしたので、「どこどこで人が、200人位海に浮いてる」とか聞きました。 当時は見なきゃ絶対信じないって思っていた所もあったんですけど、実際電気が復旧してからそういうのを見た時は、本当に悲しかったです。震災後は、父だけじゃなくて私自身も、ちゃんと対策しないといけないと思いました。 それこそ自分で使うもの、携帯とか充電のものを揃えておこうと思いました。車に乗るのでガソリンを車に詰めるだけではなく、携行缶も買って10~20リットルは持っておきたいと思ったし、あとは食べ物ですね。 カップラーメンでもご飯とかでも、いつも以上に自分の分だけでなくて家族と飼い犬の分もちゃんと備えておきたいなって思います。その時期にもよりますけど、着られるものとか歯ブラシとかそういう物は、気がついた時にちょっとずつ買い揃えるようにはしています。 ああいうことがあったので、誰もがそういう備えが必要だって実感したはずなんですよ。ちゃんと教訓があるので、その時になって後悔しないようにやっていこうと思っています。

メタデータ

教育

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非商用

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商用

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資料固有の条件

国立国会図書館が収集したコンテンツです。資料の利用に当たっては、「ひなぎくとは」(4.コンテンツの利用・リンクについて)をご確認ください。

データの提供元

青森震災アーカイブ(承継)

東日本大震災の被災地である青森県八戸市、三沢市、おいらせ町、階上町の共同事業として構築されたアーカイブ。行政文書のほか、市民から集めた写真、動画や体験談も収録。2024年6月26日ひなぎくでデータを承継。2024年3月31日サイト閉鎖。

2024/06/30