東日本大震災を見る
ひがしにほん だいしんさい を みる
東日本大震災に関連する資料やウェブサイトを紹介します。
目次
1. はじめに
東日本大震災とは、平成23(2011)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害と、これに伴う原子力発電所事故による災害のことです。この地震のマグニチュードは9.0で、日本国内観測史上最大規模の大地震でした。この大地震により、日本各地では大きな津波が発生し、これに加えて、原子力発電施設の事故が発生し、未曽有の複合的な大災害となりました。この震災は、約2万人の人的被害と、全壊約12万棟、半壊約28万棟という住家被害をもたらしました。
国立国会図書館では、東日本大震災の記録等を、国内外を問わず、誰もがアクセスし、一元的に活用できるように、「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(愛称:ひなぎく)」を構築しました。このページでは、ひなぎくが連携するデータベースに所蔵されている動画や写真などのコンテンツを紹介します。詳しくは各連携データベースのページをご覧ください。
2. 被害の状況
2.1. 地震による被害
地震の揺れは、広範囲で観測され、宮城県栗原市で震度7、宮城県・福島県・茨城県・栃木県で震度6強を観測したほか、北海道から九州地方にかけて震度1以上の地震を観測しました。
地震発生時 福島県庁
福島テレビ,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
福島県庁内で、地震発生の瞬間を捉えた映像。震度5強。揺れが始まり、本庁舎の室内では、建物のきしむ音が激しさを増していく。資料や本なども崩れ落ち、部屋の電気も消える。異様な事態に、撮影者も部屋から廊下へ、さらに屋外へと、カメラを回したまま、走り出す。建物から出る瞬間、玄関のガラスが音を立てて割れる。屋外では、玄関正面にある噴水(池)の水が激しく波立ち、こぼれ、あたりは水浸しになっていく。いったん揺れが収まるも、いまだ大きな余震が続く。西庁舎に足を向けると、屋上から煙が出ているのも確認できる。続々と外へ避難してくる県庁の職員たち。余震も続き、驚きや動揺を隠せない様子も垣間見える。地面を見れば、マンホールが陥没したり、外れたり、ガラス破片が散乱していたり、ひび割れが起きたりしていた。避難指示に促され、屋外に出てきた職員や関係者たちは、皆、近くの紅葉山公園へと避難を始める。誘導する職員らも、「建物から離れて歩くように」と冷静に呼びかける。いつしか避難所の公園は、避難してきた人々でいっぱいになっていた。[映像中に登場するレポーターは、福島テレビ 坂井有生 アナウンサー](出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:福島テレビ)
爆発 炎上する石油コンビナート [震災当日]
フジテレビション,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
大地震の直後、千葉県市原市の石油コンビナートで発生した火災の様子を捉えた映像。火災が起きたのは、市原市の五井海岸にある「コスモ石油千葉製油所」。火災は午後3時半すぎに発生。地震直後、東京都内の様子を上空から撮影していたスタッフは、千葉方面に激しく立ち上る火炎と黒煙を発見し、コンビナートまで接近した(ヘリによる空撮映像 : 午後4時ごろ)火は、約2時間たってもその勢いを増すばかり。タンクからタンクへと火が燃え移っているためか、時折、爆発のように、火が大きくなるのがわかる(情報カメラによる映像 : 午後5時すぎ)夜になり、遠く東京方面からも、上空高くまで激しい炎が上がっている様子が確認できる(ヘリによる空撮映像 : 午後6時すぎ)一向に収まらない火の手のもくもくと吐き出される黒煙が、闇夜でも認識できる(情報カメラによる映像 : 午後7時すぎ)しばらくして、消火活動によるものと思われる、夜空高く飛び上がった放水流の軌跡が捉えられた。火に向けて、激しく放たれる複数の放水流(情報カメラによる映像 : 午後9時すぎ)しかし、それでも火の勢いは失われず、やがて放水流の勢いが弱まり、視界から見えなくなる(情報カメラによる映像 : 午後11時半ごろ)深夜になり、現場付近の上空から捉えた映像は、猛烈な炎と煙を吹き上げるいくつもの球体(LPGタンク)の姿を鮮明に映し出した(ヘリによる空撮映像 : 3月12日 午前0時すぎ)結局、この大規模な火災は、その後も延々と続き、発生から11日目にして、ようやく鎮火することとなる。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:フジテレビション)
地震発生時 横浜駅前付近
フジテレビション,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
神奈川・横浜市で、地震発生の瞬間を捉えた映像(JR横浜駅西口付近で撮影) 震度5強。午後2時50分ごろ。偶然、駅近くのビルの中に居合わせたフジテレビのスタッフが、手持ちのカメラで撮影。地震を感知し、カメラを外に向けると、目前の舗道には、すでに地割れが起き、悲鳴が飛び交い、逃げ惑う人たちの姿も見える。向かいにある雑居ビルは、大きく横に揺れ、きしむような音を立て、ガラスというガラスも落ちんばかりに動いている。異常な事態を察し、撮影を続けていたスタッフは、ビルの階段を駆けおり、屋外へ。大勢の人が建物から外に避難して、商店街は騒然としている。地震の爪痕があちらこちらに残っている。大型スーパー店頭では、長く、すさまじい地割れが舗道に沿って続いている。地震は、いったん収まったかと思われたが、再び大きな余震が襲い、周囲が騒然とする。スーパーの店舗を支える大きな柱も、基礎部分が地割れで、半ば宙に浮き、ぐらぐらと揺れているのがわかる。一連の衝撃に、商店街は、あふれんばかりの人で埋めつくされていた。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:フジテレビション)
2.2. 津波による被害
また本震の3分後、岩手県、宮城県、福島県に対して津波警報が発表され、高いところでは9 mを超える津波が観測されました。この大津波により、広い範囲で甚大な被害が発生し、多くの人命が失われました。
3月11日 15時すぎ. NHKニュース(2011年3月11日)
日本放送協会
3月11日 15時すぎ : この動画は東日本大震災の当日、2011年3月11日のNHKニュースで放送したものです。ニュースのコメントや字幕などは、その時点での情報のため、その後、新たに確認されたり、状況に応じて変わったりしたものもあります。あらかじめご了承ください。(出典:NHK東日本大震災アーカイブス、提供:日本放送協会)
赤浜の民宿に乗り上げた観光船はまゆり
大槌町水道事業所,大槌町 水道事業所
大槌町赤浜の民宿に、津波のため乗り上げた、観光船はまゆりを斜め下から撮影。民宿は2階まで被災。(出典:大槌町震災アーカイブ つむぎ、提供:大槌町水道事業所)
大船渡港に押し寄せる津波
岩手めんこいテレビ,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
大船渡市を襲う津波の様子を捉えた映像。岩手めんこいテレビ大船渡支局記者が大船渡市大船渡町の高台から同地区の大船渡港を撮影。港湾の岸壁に係留されたボート群が、徐々に上昇する水位を明らかにしていく。静かではあるが、確実に上昇する水面は、いつしか岸壁からあふれ、せきを切ったように、激しく湾港内の車を流しだす。岸壁は完全に見えなくなり、大きなコンテナ群が、マッチ箱のように押し流され、湾内の船も次々と揺さぶられ、傾き、転覆、座礁...していく。波は勢いそのまま、市街地を襲い、家という家をのみ込み、バリバリという音を立てながら全てを破壊していく。視界を遮るほどの激しい土煙が舞い上がる。さらに、息もつかせぬ速さで、次は引き波の恐怖が街を襲う。すさまじい勢いで、沖へ向かって逆流する波。流される途中で障害物にぶつかり崩壊する家屋や車...。あらゆる物が、驚くべき速さで流され、残骸と化し、湾を埋め尽くす。撮影者も「目茶苦茶だぁ」と何度も悲痛な叫びを上げる。やがて波が収まるも、あらわになる変わり果てた街。津波で起きた火事により、街のあちこちで黒煙が立ちのぼっている。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:岩手めんこいテレビ)
釜石市役所付近に押し寄せる津波[視聴者提供映像]
山口貴廣,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
岩手県釜石市を襲う津波の様子を捉えた映像。釜石市在住の山口貴廣氏が撮影。地震から約40分後の午後3時25分ごろ、津波到達の知らせに騒然とする、釜石市役所(釜石市只越町3丁目)第二庁舎前の通り。避難を急ぐ人々に混じり、撮影者も、わずかに海抜の高い市役所の敷地内へ駆け上がり、カメラを南側遠方へ向ける。すでに、150メートルほど離れた県道4号線付近で、波しぶきと噴霧が立ちのぼっていた。激しい水流に押し込まれたがれきや自動車が、あっという間に道路を埋め尽くす。港側(画面左・東方向)からの水流は、いつのまにか市役所に近い、辻(つじ)という辻から次々と出て、見る見るうちに勢いを増し、内陸部(画面右・西方向)へ流れていく。やがて、市役所のつい目前まで激流が押し寄せ、人々の「逃げろ!」という声が飛び交う。撮影者も、さらに一段高い、市役所第一庁舎の入り口付近(当時工事中)まで駆け上がり、ここで撮影を中断した...。この映像には、この津波によって亡くなられた男性(当時81歳)と女性(当時59歳)の2人の方の直前の姿が収められています。本映像は、それぞれの遺族の了承を得て配信しています。本映像の配信にあたり、遺族は「とにかく、いち早く逃げる重要性」について、次のように話しています。【男性の遺族】「自分の財産を守るため、逃げることをためらい、亡くなった人がたくさんいます。命だけは失ってはいけません。逃げる。これに勝る言葉はありません」【女性の遺族】「この映像を見た時、(故人が)逃げるのが、もう少し早ければと何度も思いました。生と死を分けるのは、この少しの差なのだと…」また、撮影者の山口貴廣氏は、「目の前で、多くの人が津波に流されていくのを見ました。亡くなった人のことを考ると、1日1日を無駄に生きてはいけない」と話しています。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:山口貴廣)
大船渡港に押し寄せる津波
岩手めんこいテレビ,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
大船渡市を襲う津波の様子を捉えた映像。岩手めんこいテレビ大船渡支局記者が大船渡市大船渡町の高台から同地区の大船渡港を撮影。港湾の岸壁に係留されたボート群が、徐々に上昇する水位を明らかにしていく。静かではあるが、確実に上昇する水面は、いつしか岸壁からあふれ、せきを切ったように、激しく湾港内の車を流しだす。岸壁は完全に見えなくなり、大きなコンテナ群が、マッチ箱のように押し流され、湾内の船も次々と揺さぶられ、傾き、転覆、座礁...していく。波は勢いそのまま、市街地を襲い、家という家をのみ込み、バリバリという音を立てながら全てを破壊していく。視界を遮るほどの激しい土煙が舞い上がる。さらに、息もつかせぬ速さで、次は引き波の恐怖が街を襲う。すさまじい勢いで、沖へ向かって逆流する波。流される途中で障害物にぶつかり崩壊する家屋や車...。あらゆる物が、驚くべき速さで流され、残骸と化し、湾を埋め尽くす。撮影者も「目茶苦茶だぁ」と何度も悲痛な叫びを上げる。やがて波が収まるも、あらわになる変わり果てた街。津波で起きた火事により、街のあちこちで黒煙が立ちのぼっている。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:岩手めんこいテレビ)
津波到達から引き波、そして爪痕まで...南三陸町・歌津住民の記録
及川勝也,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
宮城県本吉郡南三陸町(旧歌津町)を襲った津波の様子を捉えた映像。地元で理容店を営んでいた及川勝也氏による撮影。地震発生から約20分後、伊里前湾に面し、街をほぼ東西に横断する国道45号線(歌津バイパス)歌津大橋の上、橋梁(りょう)の東端付近から、撮影者はカメラを回し始めた。午後3時15分すぎ、徐々に湾内に入り込んでくる潮流を捉える。午後3時20分ごろ、橋の北側に添う堤防付近には、まだ不安そうに湾の方を見つめる人影も確認できる。しかし、その数分後に状況は一変。波は、水位と勢いを増し、あっという間に堤防からあふれ出た。尋常ならざる状況に危機を察し、撮影者もあわててバイパス横の高所に駆け上がる。激流が、みるみるうちに街へとなだれ込み、家々が次々と押し流されていく。橋の周囲(西側)を注視していた撮影者らを、さらに信じられない事態が襲う。橋の逆方向(東側)、まさに撮影者らの背後から、突然、激しい水流が現れたのだ。不意を突かれた撮影者のすぐ真横、わずか1メートルほど下を、波がどんどん通り過ぎていく。バイパスが東から西に流れる巨大な水路と化し、みるみるうちに、歌津大橋の上部(路面)を海水が覆い尽くしていく。驚がくし、さらに高台へと避難した撮影者らは、街の北側・高台にある伊里前小学校付近にまで海面が達している様子を目撃する。「全滅だ...」と悲痛な声も響く。3時半ごろ、今度は引き波へと変わり、逆流で湾方向へと運ばれる建造物が、橋などの障害物にぶつかり、すさまじい音を立てながら、粉々に破壊されていった。波が去った3時45分ごろ、高台から降りた撮影者は、街の各所を回り歩き、その被害状況をカメラに収めていく。橋の東側・管の浜地区にある魚竜館(南三陸町水産振興センター)、橋の南西にある伊里前川防潮水門...街のランドマーク的施設の大きく傷ついた姿が捉えられた。午後4時ごろ、降雪も激しくなる中、海抜約15メートルの伊里前小学校まで、波が達していたことを確認する。ほぼ同じ標高にあるJR気仙沼線・歌津駅にも、津波の痕跡が残っていた。午後5時すぎ、再び伊里前小学校に戻った撮影者。車など漂流物の残骸がひしめく校庭。そこから一望する街並みは、凄惨(せいさん)な光景そのもの。公民館も、保健センターも、銀行(仙台銀行歌津支店)も...建物という建物は大きく損壊し、おびただしい量のがれきや泥がまとわりついている。撮影を始めた歌津大橋は、両端をわずかに残して、橋床のほとんどが崩落し、頭部をもぎ取られた橋脚の異様な躯体(くたい)が、飛び石のように海岸線に点在していた。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:及川勝也)
小名浜港に津波到達
福島テレビ,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
小名浜港に津波が到達した時の様子を捉えた映像。陸上に水が上がったのは、午後3時22分。(※お天気情報カメラで撮影した映像のため、音声は含まれておりません)海面が徐々に上昇したと思いきや、みるみるうちに水があふれ出し、港内に駐車している車に迫る。逃げようとするも、周りを水に囲まれ、立ち往生するトラック。中の人たちは、やむなくトラックの屋根に避難する。カメラが転じると、いつの間にか魚市場も水没し、たくさんの箱やコンテナが海に流れ出している。灯台のある防波堤では、先端を激流が襲っている。港湾内の中ほどでは、何隻もの船が連なり、傾き、激しい波にさらされている。大型船も座礁している。また住宅地付近を見れば、何隻もの小型船が木の葉のように押し流され、住宅地の奥へとなだれこんで行く。やがて、引き波が発生すると、今度は無数の浮遊物が、湾内に吐き出され海面を漂う。波が和らいだ一瞬の間をつき、トラックから降りて避難する人たちの姿も映し出された。水位が下がり、市場からは、大量の水が勢いよく吐き出される。陸地や岸壁に取り残された多くの船が、無残な姿をさらけだしている。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:福島テレビ)
新地町に押し寄せる津波[視聴者提供映像]
森和哉,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
福島県の北部、宮城県との県境にある新地町(相馬郡)を襲った津波の映像。新地町大戸浜地区に住んでいた森和哉さん(当時40歳)が撮影。地震から1時間後の午後3時41分、テレビで地震情報を確認していた森さん。津波に関する情報はテレビからは伝わって来なかったが、不安を覚え、自宅の2階に上り、自宅から200mほど離れた釣師浜漁港付近にカメラを向けた。すると、港の沖に張り出した堤防の高さを超えて、すでに津波がどんどん港内に入り込んできていた。係留されている何艘かの漁船が激流に揺さぶられている。港内の水位はあっという間に上昇し、堤防すらも見えなくなる。自宅付近まで迫りくる津波に身の危険を感じた森さんは、ここで撮影を中断し、急いで50mほど離れた自宅の裏山へと駆け上がった。自宅の裏山もほんのわずかばりの高台でしかなく、森さんは木の上にまでよじ登り、何とか難を逃れたという。自宅で最初にカメラを回し始めてから7分後の午後3時48分、裏山に避難した森さんは、しがみついていた木から降りて再びカメラを回す。非難場所のすぐ間近まで迫っている波。波と共に押し寄せるガレキ。大きな住宅さえも流され、目の前を横切っていく。少しだけ身を乗り出し、わずかに北側方向にカメラを向けると、港にあったはずの船が、裏山に隣接する7mほどの高台にまで乗り上げられていた。まもなく、森さんは近くの民家に避難をうながされ、撮影を中止。後日の取材で森さんは「もう目の前は海です。全部…」と、この時の情況を語った。この津波に飲みこまれ、森さんの自宅も全壊した。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:森和哉)
津波直後の大洗港・空撮 [震災当日]
フジテレビション,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
津波に襲われた直後の大洗町(震災当日 : 午後5時すぎ)。ヘリからの空撮映像。大洗港付近を中心に撮影。県道106号線を、港から内陸に向かい、海水が約1kmにもわたり、ゆっくりさかのぼっている様子が見える。港付近は、いたるところが冠水し、マリーナの船置場も小型船が散乱している。ビーチ付近から沖に目を転じると、海上にいくつも大きな渦が発生し、海面を白く泡立てている。不規則な潮流の合間に浮かび、今にも大渦に吸い込まれそうな船もある。フェリータミナル近くは、多くのコンテナがガレキのように散らばり、魚市場付近では、小型の漁船やボートが、転覆したり、埠頭に乗り上げたり、さらに県道2号線沿いも、何台ものトラックが道路に置き去りにされ、積荷がばらまかれたような状態も垣間見える。午後5時半近くになり、ようやく海上の渦は消えていった。[ヘリからの機上レポートは、フジテレビ 島田彩夏 アナウンサー](出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:フジテレビション)
2.3. 救助活動・捜索活動
自衛隊から最大時10万人規模の隊員が派遣されたほか、警察、消防、海上保安庁等からも多数の職員や医療スタッフが派遣され、被災地での捜索活動や救援・復旧支援活動に当たりました。
ヘリによる懸命の救助活動・空撮 [震災翌日]
FNN,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
津波による水害で孤立した住民を警察がヘリで救助、その一部始終を捉えた映像(震災翌日 : 午前11時ごろ)福島沿岸部、相馬市付近の上空にて取材中のヘリが撮影。海岸から1km程度離れた内陸部の田園地帯。津波がここまで押し寄せたのか、広い範囲の地域が水没し湖のようになっており、取材陣は、そこにポツンと取り残された2棟ほどの家屋を発見。2階に住民の姿も確認でき、助けを求めている様子。家屋の周囲は水で覆われ、完全に孤立し、中の住民が脱出することは困難に見受けられた。するとそこへ、幸運にも警察のヘリが現れた。孤立した住民らを発見したのか、ギリギリまで高度を下げ、家屋に近づく。家屋上空でホバリングするヘリから、レスキュー隊員がロープを使い、2階ベランダに降下。中にいた要救助者と会話したあと、まず1人の住民にロープをつけ、そのままヘリにつり上げさせた。ゆっくり引き上げられるロープは、風にあおられ、回ったり、緊迫した状況となるが、無事に1人目の住民を収容。その後、いったん警察ヘリは現場を離れたが、再びこの家屋を訪れ、もう1人の住民を救出することに成功した。[ヘリからの機上レポートは、フジテレビ 島田彩夏 アナウンサー](出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:FNN)
3. 被災者の様子と支援
この震災では、電気・ガス・水道・通信などに大きな被害が発生しました。震災による避難者は、原発事故によるものも含め、ピーク時には岩手県、宮城県、福島県の3県でおよそ41万人、全国でおよそ47万人に達しました。
避難所で治療を受ける避難民(らふたぁヒルズ)
社会福祉法人 堤福祉会,社会福祉法人 堤福祉会
避難所で医療従事者から治療を受ける避難民。ブルーシートの上で周りの避難民も疲れている様子。(出典:大槌町震災アーカイブ つむぎ、提供:社会福祉法人 堤福祉会)
4. 福島第一原子力発電所の事故
この震災により、福島第一原子力発電所では全ての電源を喪失し、炉心の損傷、水素爆発、放射性物質の漏えいが発生しました。現在までに、廃炉作業のため、さまざまな取組が進められています。また、事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処として、各地で除染作業が実施されました。
福島第一原子力発電所の事故
福島第1原発を襲う津波
福島テレビ,フジテレビション,FNN(フジニュースネットワーク)
福島第1原発周辺の海岸線を襲う津波の様子を捉えた映像。(※定点カメラで撮影した映像のため、音声は含まれておりません)原発施設の南側(映像手前側)にある海岸線・崖面を、大きな波が破壊するところから映像は始まる。土とも水とも区別のつかない、すさまじい飛沫(ひまつ)が上がって、崖をえぐりとり、大量の土砂が海に流れ込む。波がいったん静まると、北部・遠方(映像奥)の原発施設に、直接波が押し寄せ、大きな水しぶきの上がる様子が確認できる。また、よく見ると、施設から水蒸気のようなものが立ちのぼっているのもわかる。余震のためか、カメラも時々揺れる。引き波のあと、再び大きな波が押し寄せる。(出典:3.11 忘れない FNN東日本大震災アーカイブ、提供:福島テレビ)
第1回東京電力福島第一原子力発電所における事故の分析に係る検討会(平成25年5月1日)
原子力規制委員会,原子力規制委員会,原子力規制委員会
議題1 東京電力福島第一原子力発電所における事故分析に係る検討会の設置 議題2 今後の検討会の進め方(出典:原子力規制委員会、提供:原子力規制委員会)
2023/01/27(金) 福島第一原子力発電所 多核種除去設備(ALPS)の浄化のしくみ
東京電力ホールディングス株式会社,東京電力ホールディングス株式会社,東京電力ホールディングス株式会社
出典:東京電力ホールディングス、提供:東京電力ホールディングス株式会社
放射線被害への対応
5. 復旧・復興
発災直後から、この甚大な被害に対処するため、多くの人が尽力してきました。発災から約3か月後には、電気・ガス・水道・情報通信等は、原発の警戒区域等を除いて、ほぼ復旧しました。また、東日本大震災の記録や記憶を残し、次世代に伝承していく活動も行われています。当時のことが体験談や証言としてアーカイブされているほか、語り部などの伝承活動や、復興に向けた取組も記録されています。
復旧・復興の様子
第1回大槌復興まちづくり住民会議
大槌復興まちづくり住民会議,赤崎友洋
安渡小学校校舎内廊下で開催された第1回大槌復興まちづくり住民会議の様子(出典:大槌町震災アーカイブ つむぎ、提供:大槌復興まちづくり住民会議)
岩手県 陸前高田市
東北地方整備局,東北地方整備局
くしの歯作戦の一本である国道340号から陸前高田市街地を見下ろした状況。奥が津波堆積物で覆われた津波遡上区域。被災を免れた手前側の区域と明暗がくっきり。(出典:東北地方整備局震災伝承館、提供:東北地方整備局)
証言・体験談・記録
リアルふっこうボイス 第1回 ~石巻のこえ~
まちづくり部
東日本大震災の被害にあわれた住民の方々の復興・まちづくりに対する生の声を現地で記録した音声で紹介します。まちづくりに取り組む学生たちが、そうした住民の生の声とまちの現状からこれからの復興の道を考え...(出典:3がつ11にちをわすれないためにセンター (せんだいメディアテーク)、提供:まちづくり部)
2025/3/7(金) 「福島第一原子力発電所は、今」~あの日から、明日へ~(ver.2025.3)
東京電力ホールディングス株式会社,東京電力ホールディングス株式会社,東京電力ホールディングス株式会社
出典:東京電力ホールディングス、提供:東京電力ホールディングス株式会社
2014/06/10 廃炉に向けて~ふるさとへの想いや責任を胸に~ : 廃炉作業に携わる”福島県出身”の作業員の方の想いやメッセージ
東京電力株式会社,東京電力株式会社,東京電力株式会社
出典:東京電力ホールディングス、提供:東京電力株式会社
LIGHT UP NIPPON
黒木瞳,坂本龍一,国際交流基金,柿本ケンサク,湯川篤毅,AKKI,コトリンゴ,LIGHT UP NIPPON,国際交流基金,Japan Foundation,国際交流基金
追悼と復興の祈りをこめ、東日本大震災の被災地10ヶ所で同時に花火大会を開催するLIGHT UP NIPPONプロジェクト。若者たちの挑戦の軌跡を追ったドキュメンタリー映像。(出典:国際交流基金)
希望のタイル. てれまさむね
日本放送協会
希望のタイル : それでも前を向いて宮城 女川町 「希望のタイル」タイル工房 オーナー 阿部鳴美さん(出典:NHK東日本大震災アーカイブス、提供:日本放送協会)
馬への恩返し. てれまさむね(2021年03月08日)
日本放送協会
馬への恩返し : それでも前を向いて宮城亘理町 「馬への恩返し」乗馬クラブ代表 鈴木嘉憲さん(出典:NHK東日本大震災アーカイブス、提供:日本放送協会)
語り部の活動. 東日本大震災 音声アーカイブス
佐藤 美南さん,日本放送協会
語り部の活動 : ―― どうして、そういう活動をやろうと思ったんですか。佐藤:あんまり震災前は自分の町が好きじゃなかったんですけど、震災のあとに、南三陸町の良さをすごい感じて、町のために何かしたいな、自分が今できることは何かなって考えるようになって、その考えてずっともやもやしているときに、私の先輩がこの団体を立ち上げたので、この活動をしようと思いました。―― 語り部の活動をするうえで、大変だったなって思うことってありますか。佐藤:やっぱり一回一回話すので、話す度に、もちろん震災の当時の話を思い出さなきゃいけないっていう環境なので、最初のころとかは、ほんとに思い出す度にすごいつらいなって思ったりだとかはしましたね。―― そういう思いをするときに、活動にたいしてのためらいみたいのはなかったですか。佐藤:最初は、すごいありましたね。―― それは、自分の中でどんな気持ちで臨んでいったんですか。佐藤:活動していくなかですごい仲間が増えていって、それはもちろん地元の友達だったりだとか、あとは聴きに来てくださった大学生の方だとかだと、ツアーを組んで南三陸に来てくださったりだとかするっていう場面で、活動していくなかで仲間っていうのがどんどん増えていったので、その人たちと一緒に頑張ろうと思えば全然頑張れたので、乗り切れました。佐藤:私がいつも語り部で伝えてるのは、地元をすごい大事にしてあげてくださいっていうのとか、私は震災でおばを亡くしているので、感謝の気持ちを周りの人に素直に伝えてくださいっていうのを伝えているので、そういうのを聞いてくださって、「お家に帰ったら、感謝の気持ち伝えたいと思います」とか、あとは「今まで自分の地元のことを考えることがなかったけど、これからはちょっと地元に対して考えてみようかなって思います」っていうのをいつも感想にもらってて、少しでも伝わってくれてればうれしいなっていうのがありますね。(出典:NHK東日本大震災アーカイブス、提供:佐藤 美南さん)
遺構になった大川小. あの日 わたしは
佐藤 敏郎 さん②,日本放送協会
遺構になった大川小 : NA:宮城県石巻市。北上川のほとりに建つ大川小学校です。海から4キロ離れていましたが、巨大津波に襲われ、児童74人と教職員10人が犠牲になりました。NA:ここは、被災した当時のままの姿を伝える“震災遺構”として残されています。あの日、8.6メートルもの巨大津波に襲われた校舎。その無残な姿が、今もそのままの形で見ることができます。NA:震災から7年半たった今も、慰霊や防災研修のために多くの人が訪れています。佐藤:天井を見てください。斜めになった天井の低いほう、つまり手前半分が茶色くなっているのがわかるでしょうか。天井の真ん中に津波の跡があります。立っている所から8.6メートルの高さの所だそうです。NA:大川小学校で語り部をしている佐藤敏郎さんです。佐藤さんは、大川小学校に通っていた当時6年生の娘を津波で亡くしました。NA:今も校舎があることで、子どもたちが楽しい日常を過ごしていたことを、よりリアルに伝えることができるといいます。佐藤:ここは、花見をしたり、一輪車で遊んだ中庭で、(あちらは)勉強をして褒められたり、怒られたりした教室です。あの辺に一輪車がいっぱい置いてあって、子どもたちは、よく一輪車で遊んでいました。大川の子どもたちは、全員一輪車に乗れるんです。NA:実は、震災遺構として2年前に保存の決まった校舎ですが、一時は解体を望む住民が多くいました。そうした住民の声に異議を唱えたのが、大川小学校の卒業生6人でした。生徒1:震災で多くの子どもたち、先生方がこの校舎で犠牲になりました。まだ見つかっていない子もいます。子どもたちがあそこで生きた証しと、二度とあのような悲劇をくり返さないために、あの校舎を通して伝えていくことが大切です。生徒2:広島の原爆ドームが、原爆や戦争の愚かさを伝えてきたように、大川小の校舎も地震や津波の恐ろしさや命の大切さを何十年、何百年、何千年と後世の人々に伝えることができるきっかけになればいいと思っています。NA:大川地区復興協議会の説明会で訴えた子どもたちの声が、住民の意識を変えました。説明会後、アンケート調査をしたところ、全て残すべきと答えた人が、過半数を超えました。そして石巻市は、大川小学校を震災遺構として保存することに決めたのです。NA:決定後、被災地の数少ない震災遺構を、実際に見てみようという人も増えています。この日は、研修の一環として、兵庫県から高校の新人教師たちが訪れていました。佐藤:今は、ここはすごく特別な場所になってしまいました。“あの大川小学校”と言われます。でも、特別な場所でもなんでもなくて、普通に子どもたちが笑って、泣いて、学び、遊んでいた場所です。特別じゃないときに、特別じゃない場所に災害はやって来ます。西日本の豪雨だって、大阪の地震だって、阪神大震災だって、関東大震災だって、被災地って呼ばれるちょっと前くらいまでは、特別な日じゃない、特別じゃない場所だったわけで、そこに(災害は)来るんですよね。教師1:見ないとやっぱり考えられない、イメージできないと思う、ここで子どもたちが遊んでいたとか、実際にここに波が来てということとか。大事にしていきたい場所だと思いました。教師2:このようなことが(二度と)ないためにも、僕らが語り継げていけたらと思います。(出典:NHK東日本大震災アーカイブス、提供:佐藤 敏郎 さん②)
地震で決壊したダム. あの日 わたしは
松川 美智夫さん,日本放送協会
地震で決壊したダム : 松川:杉の木なんかが見えるかと思うんですが、あの山の沢、あそこから水が、黒い濁った水が一気に押し寄せてきたという感じですね。まさかここに山津波が来るとは誰も予想も何にもしてなかったですもんね。NA:福島県須賀川市(すかがわし)。あの日、震度6強の揺れに襲われ、農業用ダムが決壊しました。死者・行方不明者は8人。家屋の全壊19棟など、甚大な被害をもたらしました。NA:須賀川市で農業を営む松川美智夫さん。決壊したダムからおよそ1キロ下の滝(たき)地区にある自宅前で濁流を目にします。松川:今、田んぼだった所が、すべて水。黒い濁流が音を立てて流れていたんですね。あぜんとして、何も言葉が出ないぐらいの水の量でしたね。近くに何人かいたものですから、その人たちに「これどうしたの、何だろう」ということで聞いたら、「藤沼湖のダムが決壊したんだ」という話を聞きまして、これはもうだめだと思いましたね。(出典:NHK東日本大震災アーカイブス、提供:松川 美智夫さん)
震災遺構・震災伝承施設
米田歩道橋
防災科学技術研究所
震災遺構「米田歩道橋」この震災遺構は、前方の一般国道45号の水門部に架設されていた米田川を渡る歩道橋の一部です。2009年6月に完成した歩道橋ですが、2011年3月11日東日本大震災の津波により破壊され流失しました。(出典:災害記念碑デジタルアーカイブマップ(防災科学技術研究所)、提供:防災科学技術研究所)
6. ひなぎくでの調べ方
ひなぎくでは、紹介したコンテンツ以外にも、絞り込み検索を行うことで震災に関する様々な資料を調べることができます。ここではその検索例をいくつか紹介します。
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7. 東日本大震災に関するウェブサイトの紹介(外部リンク)
- 内閣府「特集 東日本大震災」
- 東日本大震災の概要、被害の状況、政府の対応、海外からの支援、避難所・避難者、支援活動、地震のメカニズム、津波のメカニズムについて画像を掲載しつつ説明されています。
- 警察庁「東日本大震災に伴う警察措置」
- 東日本大震災に伴う警察措置について、福島第一原子力発電所周辺地域における警察活動や被災地における安全と秩序の確保、復興に向けた取組について記載されています。
- 復興庁「復興庁 東日本大震災発災10年ポータルサイト」
- 東日本大震災の発災から10年を迎えるに当たって、被災地の復興状況や東北の魅力、震災の記憶と教訓などについて、写真や映像を活用して情報発信しています。
- 消防庁「東日本大震災記録集」
- 東日本大震災における被害状況、消防機関等の活動、現地で活動した消防職団員の経験談等を収集・調査し、そこで得られた記録と貴重な教訓が記載されています。
- 農林水産省「東日本大震災からの農林水産業の復興支援のための取組」
- 東日本大震災からの農林水産業の復興支援のための取組について、地震・津波災害からの復旧・復興と原子力災害からの復旧・復興等が記載されています。
- 国土交通省「東日本大震災の記録―国土交通省の災害対応―」
- 地震発生から1年を迎えるに当たって、東日本大震災による被害とその特徴、その間の国土交通省における災害対応について、記録としてとりまとめられています。
- 気象庁「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」
- 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について、その観測・解析データ、5年間の余震活動の状況、関連する刊行物などが掲載されています。
- 環境省「東日本大震災への対応」
- 東日本大震災への対応として、災害廃棄物対策等についての資料を掲載しています。また、原子力発電所事故による放射性物質対策の資料も掲載しています。
- 防衛省・自衛隊「東日本大震災への対応」
- 東日本大震災への対応に関する教訓事項の最終とりまとめ、記者会見、関連資料、東北地方太平洋沖地震に対する自衛隊の活動状況等を掲載しています。
- 岩手県「東日本大震災津波の記録誌等」
- 岩手県における東日本大震災津波対応の活動記録、災害対応検証報告書、避難者支援活動記録集、復旧・復興に向けた取組などの記録誌等が掲載されています。
- 宮城県「東日本大震災の概況」
- 東日本大震災について、その地震や津波の概要と、被害や様子、被災者の避難状況、支援の様子を画像や写真を掲載しつつ紹介されています。
- 福島県「東日本大震災・原子力災害 10年の記録」
- 震災と原発事故から10年を迎えるに当たって、それまでの復興への取組や県民の声を広く発信し、震災の記録と記憶等が掲載されています。
参考文献
- 責任表示
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による。
- 最終更新日
- 2026/03/05























































